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作品数 : 6
宇河 弘樹(うがわ ひろき)は、漫画家、イラストレーター。広島県出身。1994年、『月刊コミックドラゴン』(富士見書房)に掲載の「黒エルフの不仕合わせな事情」でデビュー。その後『ヤングキングアワーズ』(少年画報社)を中心に寄稿。2000年から2007年まで同誌にて代表作「朝霧の巫女」を連載した。この作品はアニメ化もされたが、のちに製作サイドの度重なる不誠実な対応に業を煮やし、アニメ版のDVD全巻購入特典を本人自らが製作、発送した。
作品数 : 17
唯 登詩樹(ゆい としき、1956年 - )は、日本の漫画家。京都府出身で、現在も同地で活動中。京都産業大学法学部を卒業後、書店でのアルバイトを経て京都伝統工芸のテキスタイルデザイナーとして7年間勤務。その間に漫画雑誌への投稿を続けていた。かつてはアダルト作品を唯登詩樹名義で、その他の作品を加藤雅基(かとう まさき)名義で発表していたが、現在は唯登詩樹で統一している。活動初期からMacintoshを作画に用いていることでも有名で、同社のパソコンを自作にしばしば登場させている[1]。
作品数 : 17
樹村 みのり(きむら みのり、1949年11月11日 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。1964年、14歳にて「ピクニック」(集英社『りぼん』春の増刊)でデビュー。以後、夏休みや春休みごとに執筆する学生作家として1960年代から1970年代にかけて『COM』、『りぼんコミック』で作品を発表。アウシュビッツ、ベトナム、リオデジャネイロの貧民街などを舞台にしたり、普通の女の子の病気の一日を扱いながら登場人物たちの心の襞(ひだ)を緻密に描く作風により、マイナーながらもいわゆる24年組の一人に数えられる。大学卒業後、執筆を一時中断するが、1974年に『別冊少女コミック』(小学館)掲載の「贈り物」で復帰。小学生時代のエピソードを描きながら全共闘運動を暗喩として物語る。その後、少女と4人の下宿女子大生の交流を描いた「菜の花畑のこちら側」を発表、以後講談社、秋田書店等の少女誌や青年誌、レディース誌などで幅広い執筆活動を行う。近年は寡作であるが、宙出版の雑誌での過去作の再録、ヘルスワーク協会からは作品集が出版されている。2008年現在、朝日新聞出版の夢幻館にて読み切り連載を掲載している。また、秋本治、夢枕獏、みなもと太郎など、男性作家のリスペクターも多い。
作品数 : 75
しりあがり 寿(しりあがり ことぶき、1958年1月1日 - )は、日本の漫画家。静岡県静岡市葵区出身。男性。神戸芸術工科大学特任教授、横浜美術大学客員教授、日本大学藝術学部非常勤講師。本名は望月寿城(もちづき としき)。妻は漫画家の西家ヒバリ。
作品数 : 38
くさか 里樹(くさか りき、本名・佐藤広子、1958年6月9日 - )は、日本の漫画家。女性。高知県高岡郡日高村出身。高知県立高知追手前高等学校卒業。夫はかつて自身が師事していた青柳裕介の元アシスタントである大石倉人。熱心な創価学会員である。
作品数 : 4
大和 正樹(やまと まさき、1954年1月1日 - )は、日本の漫画家。新潟県南魚沼郡大和町(現南魚沼市)出身。他に小島 正春、小島 一将、マサ小島など別名義による作品もあり。ペンネームの由来は、出身地である大和町より。デビュー後は小島正春名義で少年漫画誌を中心に作品を発表していたが、『プレイコミック』にて出世作となる『あげちゃう! 女教師』を大和正樹名義で発表、以後青年誌に活動の場を移す。他の代表作に『パパは大モノ!』、少年誌で『みあげた玉三郎』など。
作品数 : 20
草薙 竜樹(くさなぎ りゅうじゅ)は、日本の女性漫画家。牡羊座、A型。実業之日本社の漫画雑誌「ティーンズコミックパル→少女パル」および「恋はおまかせスペシャル」(「My Birthday」増刊)で活動した。
作品数 : 7
亜樹 新(あき あらた)は、日本の漫画家。女性。主に『月刊コミックブレイド』、『コミックブレイドMASAMUNE』、『コミックアヴァルス』(いずれもマッグガーデン)、『月刊コミックジーン』(メディアファクトリー)などで作品を発表している。漫画家になろうと思ったのは、小学2年生の時にさくらももこのエッセイを読んだことがきっかけ。