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作品数 : 18
中沢 啓治(なかざわ けいじ、本名同じ。1939年(昭和14年)3月14日 - 2012年(平成24年)12月19日)は、日本の漫画家。代表作に『はだしのゲン』など、広島市への原子爆弾投下による自身の被爆体験を元に、戦争・平和を題材とした作品を数多く発表している。
作品数 : 26
士郎 正宗(しろう まさむね、1961年11月23日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。兵庫県神戸市葺合区(現中央区)出身。大阪芸術大学芸術学部美術学科(油画科)卒。大学では美術の教員免許を取得。代表作に『アップルシード』、『攻殻機動隊』など。
作品数 : 3
表示宮﨑 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、日本の映画監督、アニメーター、漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎 駿(みやざき はやお)と表記されることもある。株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立アニメーション美術館(三鷹の森ジブリ美術館)館主。
作品数 : 269
永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔(ながい きよし)、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。石川県輪島市出身。血液型はO型。石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞した。1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員を務める。 現存する四大週刊少年誌(週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、週刊少年チャンピオン)及び、休刊した週刊少年誌3誌(週刊ぼくらマガジン、週刊少年キング、週刊少年宝島)全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。
作品数 : 32
浦沢 直樹(うらさわ なおき、1960年1月2日 - )は、日本の漫画家。東京都府中市出身。府中市立府中第四中学校、東京都立富士森高等学校、明星大学人文学部経済学科卒業。1983年デビュー。漫画賞の受賞が多く、手塚治虫文化賞大賞を2度受賞している唯一の漫画家である。コミックスの売り上げは日本国内だけで累計1億2700万部を突破している。1960 - 1970年代のロックのファンで、『20世紀少年』にはその影響が色濃く反映されている。特にボブ・ディランの大ファンであり、2007年にはロッカー和久井光司との共著『ディランを語ろう』を発行したほか、2016年には個展の特別イベントとして『ボブ・ディラン 聴いて歌って描きまくる』を開催するなどしている。
作品数 : 20
大友 克洋(おおとも かつひろ、本名同じ、1954年4月14日 - )は、日本の漫画家、映画監督。宮城県登米郡迫町(現在の登米市迫町)出身。宮城県佐沼高等学校卒。血液型はA型。 1973年『漫画アクション』にてデビュー。代表作に『童夢』『AKIRA』など。ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。息子はイラストレーターのSHOHEI(大友昇平)。1988年、自作を元に自ら制作したアニメーション映画『AKIRA』は日本国外でも高い評価を得、「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本国外における日本アニメムーブメントのさきがけとなった。近年は主に映画監督として活動している。
作品数 : 159
松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、男性、1938年1月25日 - )は、日本の漫画家。本名、松本 晟(まつもと あきら)。福岡県久留米市生まれ、東京都練馬区在住。血液型はB型。旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。称号は練馬区名誉区民。妻は同じく漫画家の牧美也子。宝塚大学教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。漫画家の牧美也子とは24歳で結婚。早稲田大学大学院教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本將は実弟。代表作に『銀河鉄道999』など。SF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争もの、動物ものなど様々なジャンルの漫画を描いている。アニメ製作にも積極的に関わり、1970年代半ばから1980年代にかけては松本アニメブームを巻き起こした。