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作品数 : 12
込由野 しほ(こみゆの しほ、5月19日 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。血液型はO型。2002年、「ビバ☆恋ゴコロ」(第50回 りぼん新人漫画賞 佳作、集英社の『りぼん初夏のびっくり大増刊号』掲載)にてデビューした。
作品数 : 95
立野 真琴(たての まこと、3月23日 - )は、日本の漫画家。富山県富山市出身。富山県立富山北部高等学校卒業。美内すずえのアシスタントをしていた。1986年、『花とゆめ』(白泉社)2号に掲載された「ゆられてたまごBoys」でデビュー。同社の『花とゆめ』、『別冊花とゆめ』などを主な執筆の場としている。角川書店、ビブロス(倒産)、リブレ出版、新書館他複数の出版社、同人誌でも精力的に活動。集英社やオークラ出版などの小説の挿絵も多数手がけている。
作品数 : 23
夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - )は、日本の漫画批評家、漫画家、エッセイストである。本人の自称は「漫画コラムニスト」。有限会社夏目房之介事務所代表取締役、学習院大学大学院人文科学研究科教授。1992年(平成4年)、『手塚治虫はどこにいる』の上梓により漫画批評家としての評価を確立。ネームバリューを活かした多数の著作やテレビ出演によって、それまで一部の同人誌やマニア誌などで内輪話的に論じられてきた漫画評論のハードルを低くした。それと同時に、新たな漫画研究に対する指針を標榜した。しかし、本人はあくまでもコラムニストとしての活動であるとしており、研究自体は若手学者の論説を支持する程度にとどまる。2008年4月、学習院大学の大学院に新設された人文科学研究科身体表象文化学専攻の教授に就任。このほか、花園大学の文学部創造表現学科にて客員教授を務めるとともに、京都大学の非常勤講師を務めている。
作品数 : 16
川崎 のぼる(かわさき のぼる、男性、1941年1月28日 - )は、日本の漫画家。大阪府大阪市出身。本名、川崎伸。血液型O型。代表作は『巨人の星』(原作:梶原一騎)、『いなかっぺ大将』、『てんとう虫の歌』他多数。熊本県で絵本作家として活動を行っている。
作品数 : 13
野部 利雄(のべ としお、1957年1月18日 - )は、日本の漫画家。栃木県宇都宮市出身。和光大学卒。1979年、第18回手塚賞佳作受賞(『花と嵐がいく』)。同期受賞者に北条司、藤原カムイ。ラブコメ、ファンタジー、美少女SF、ボクシング漫画等の長編を好んで執筆する。代表作に『わたしの沖田くん』など。
作品数 : 27
しげの 秀一(しげの しゅういち、本名:重野 秀一〈読み同じ〉、1958年3月8日 - )は、日本の漫画家、同人作家。新潟県十日町市松之山出身。新潟県立十日町高等学校卒業。血液型A型。星座うお座。代表作に『バリバリ伝説』、『頭文字D』。
作品数 : 9
環方 このみ(わがた このみ、8月18日 - )は、日本の漫画家。京都府出身。血液型はO型。趣味は旅行と献血らしい。小学館発行の少女漫画雑誌『ちゃお』『ちゃおDX』で執筆中。2006年、『ちゃおDX』冬号に掲載された「レンズごしのホント」でデビュー。よく、動物(特に犬)が作品に出てくる。
作品数 : 8
野村 あきこ(のむら あきこ、2月28日 - )は、日本の漫画家。神奈川県出身。血液型はA型。1990年、「90's Dandy」で第11回なかよし新人まんが賞佳作を受賞。同作で『なかよしデラックス』(講談社)1991年初夏の号にてデビュー。『なかよし』(同)を主な執筆の場としていた。『倫敦館夜想曲』を最後に漫画家を引退し、ファンサイトにて引退宣言を行っている。
作品数 : 3
地獄のミサワ(じごくのミサワ、1984年4月5日 - )は、日本の男性漫画家。『俳優伝説』で第68回赤塚賞に準入選しデビュー。妻は小説家の松原真琴。また、諸事情により『しこくのミサワ』名義を使用する場合もある。
作品数 : 20
西村 しのぶ(にしむら しのぶ、1963年5月25日 - )は、日本の漫画家。兵庫県出身。神戸市外国語大学中退。代表作は『サード・ガール』など。2010年5月現在、『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて『RUSH』を連載している。大学在学中の1983年、小池一夫主宰の劇画村塾が神戸に教室を開き、その第1期生として入塾。翌1984年、課題作である「D-アウト」が『COMIC劇画村塾』に掲載されデビュー。設定をそのままにタイトルを変更し、同誌で『サード・ガール』を連載開始。恋愛やファッションを織り込んだ都会的ストーリーと、やや甘いところのある軽いスタイリッシュな画でカルト的な人気を得た。初期には『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)などの青年コミック誌にも作品を発表していたが、1990年代以降はもっぱら女性コミック誌に作品を掲載している。デビュー以来神戸を拠点としていたが、阪神・淡路大震災の影響で大阪に転居。「必要な米代だけを稼ぐ」と自他ともに認めるほどの寡作な漫画家であり、同一シリーズ作品の発表に数年の間隔が生じることもしばしばある。また、シリーズ作品のほとんどが未完とされている。