1997年から翌年にかけて、「WEEKLY漫画アクション」にて連載された、いましろたかし流ファンタジー。仙界に住むブタ仙人の下で修行に励む、中年男牛山五郎と子熊のトンちゃんの日々を描く。 <p> いつも困り顔の、ユーモラスなブタ仙人の下での修行は、ごはんを作ったりランニングしたりと、どこか牧歌的である。そして、ポーズをつけて「お師匠」などとしゃべるトンちゃんがかわいらしいので、まったりとした印象を与える。…と思っていると、不意打ちのように痛切なセリフが語られ、読者の心を突き刺す。このあたりの呼吸の妙こそ、いましろたかし作品の醍醐味(だいごみ)といえるだろう。たとえば、途中から登場する、宇宙から何かの手違いで仙界にやってきてしまった教育ロボット、ロボ仙人。彼が、自分の教えが理解できないという弟子の田村に対し、「私は 孤独だ」と本音をつぶやくシーンなどは、静かであるにも関わらず衝撃的だ。たとえ、現実世界ではない異界が舞台であっても、いましろ作品の登場人物の苦悩がなくなることはないのだ。 <p> 物語の牽引役である牛山は常に汗をかきながら、不器用に悩み続ける。修行を積めば積むほど、牛山には新しい苦悩が訪れる。そして終盤、ブタ仙人の一番弟子の「悪霊」の出現以降、単なるネガティブな空気とは違う、澄んだ無常感が、牛山を中心として全体を覆っていく。 <p> それほど長くない作品であるが、キャラクターたちはみな印象的で、その読後感はじんわりと深い。(横山雅啓)
1991年から93年ごろのいましろたかし作品を集成。気がつけばすっかりいい歳になってしまった、なさけない人々のなさけない日常が、ゆったりと描かれた短編集である。 <p> 表紙には、実になさけなくも味わい深い表情で体育座りをした男、チバちゃんが描かれているのだが、この絵のたたずまいにはいましろ漫画の魅力が凝縮されていると言っても過言ではないだろう。チバちゃんは、誰と話をしてもほとんど断言をすることなく、ただ「う~ん…」とつぶやき、あきれられる。常に困ったような表情をしていて、実際に自分の生活状況に困ったりもしているのだが、それほど切迫して焦っているわけでもない。どうにかしようにも、どうしたらいいかなかなかはっきりと決めることができない。そんな宙ぶらりんなかっこ悪さ、間延びした感覚の再現は、実にリアルかつ豊かである。 <p> だから、これといったドラマがまったくないにもかかわらず、いましろ漫画はおもしろい。登場人物が、トコトコと歩いて行った先の風景を呆然と眺め、またトコトコと帰路につく。ただそれだけでも不思議と読ませるおおらかな魅力が、情景や表情からにじみ出ているのだ。 <p> 登場人物や話のなさけなさ、無駄の多さに拒否反応の出る人もいるかもしれないが、ここには確かに、ちっぽけな人間の愛すべき本質が描かれている。(横山雅啓)