2004年02月01日発売
1巻
白土三平――。1932年生まれ。大長編漫画「カムイ伝」や「忍者武芸帳」の作者、まさに巨匠と呼ぶにふさわしい存在である。だが、1960年代に熱狂的なブームをもって迎えられた白土作品は、その後、漫画文化の一線から退かなくてはならなかった。なぜこうしたことが起こったのか。 <p> 本書は、10歳の著者が「微塵隠れの術」を本気で再現しようとしたエピソードからはじまっている。微塵隠れとは、白土の少年忍者漫画「サスケ」に出てくる忍法のひとつ。洞窟の奥に仕掛けた火薬で敵を倒す、という技である。もちろんこの試みは失敗するのだが、ことほどさように著者は白土作品を愛し、40年にわたって読みつづけてきた。批評家として、みずからの核に白土漫画があるとさえいう。その著者が750枚というボリュームで本格的な白土論を書き下ろした。いわば、「本気中の本気」が結実した仕事だ。このような書物に出あえることこそ、読書の醍醐味といっていい。 <p> とはいえ、本書は単純な白土賛歌ではない。父・岡本唐貴(1903-86)が画家、それも左翼美術史上の重要人物であったこと、信州での孤独な疎開生活、さまざまな表現技法を身につけた紙芝居制作など、後年の白土漫画に影響を及ぼしたと思われる伝記的事実を次々と掘り起こす一方、作品そのものに対しては冷静な批評者の目を保ちつづけている。なにしろ、戦時中の強制連行をあつかった初期の少女漫画を重視する一方、みずから熱中した「サスケ」に対しては、「作品としての質は、かならずしも高いとはいえない」と言い切っているぐらいだ。 <p> 「忍者武芸帳」(1959-62)で重要なモチーフとなった階級闘争史観は、「カムイ伝 第一部」(1964-71)にいたって差別問題への考察や民俗学的要素を盛り込み、大きく花開く。農民、抜け忍、侍といった登場人物が、それぞれのユートピアを求めてさまよう姿は、学生運動の闘士たちを熱く駆り立てることになった。だが、バイブルと仰がれた白土漫画も、左翼運動の崩壊にともない、急速にかえりみられなくなっていく。「革命」や「闘争」に疲れた人々は、かつての聖典を封印してしまったのだ。この過程を描き出す著者の筆は、歴史叙述と呼ぶべきほどの重みをもっている。 <p> だが、白土はけっして過去の作家ではない。その後も、民俗学的・神話的なイメージに彩られた作品を発表しつづけ、「カムイ伝」そのものも、いまだ描きつがれている。ことによると、真に重要なのはこれからなのかもしれない。巨人の筆がふたたび時代と重なることがあるのか、もしあるとすれば、それはどんなかたちをとるのか、著者とともに見据えたい。読後、そうした思いに強く貫かれるのである。(大滝浩太郎)