バーナード嬢曰く。

施川ユウキ

3.82

4776

発刊:2013.04.19 〜

既刊6巻

『バーナード嬢曰く。(1)』巻の書影
『バーナード嬢曰く。(2)』巻の書影
『バーナード嬢曰く。(3)』巻の書影
『バーナード嬢曰く。(4)』巻の書影
『バーナード嬢曰く。(5)』巻の書影
『バーナード嬢曰く。(6)』巻の書影
タカノさん、他2人が読んでいます

この漫画のレビュー

5.0
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1.0
3.82

77件の評価

5.0

6巻まで読みました

私はこの作品を愛している。
毎回最新作が最高傑作で、今回の6巻も素晴らしかった。多分、並行して上梓された「鬱ごはん」4巻の影響があるのではないかと思う。
というのも、ド嬢は回を重ねるにつれそのテーマが本自体から本を読む人間そのものにシフトしてきているからだ。
1巻初めでは、ド嬢たちの性格は対照的で分かりやすかった。しかし、それはテーマの中心である本や名言を説明するためであって、性格はただの記号でしかなかった。「マンガで分かる○○」とかに出てくるキャラクターみたいな感じだ。これはある意味で分かりやすいが、やはりリアリティにおいて欠けるという欠点がある。しかしド嬢たちの関係は次第に現実味を帯びてくるにつれ、単なるフィクションではなくなる。ド嬢や神林たちは互いに共通点を見つけ、そして自分に欠けているものを相手に見出したりする。この人間関係の描写における解像度の高さというのが意外なギャップなのであり、それ故読者はこの作品の世界に没頭してしまう。
例えば神林がツッコミでド嬢を殴るシーン、これはマンガ的、あまりに普通なマンガ的表現であり、私達はそれをつい見逃してしまうが、最新刊でそうしたマンガ的表現がめっきり減って、神林がド嬢を殴ることがなくなった。これは、単に優しくなったからとか、仲が良くなかったからだというだけではない。現実だからだ。神林は一人の人格であり、だから当然、一人の人間としてド嬢を殴ったりしないのである。我々は次第に、この作品世界が現実に迫っていることを悟る。神林のデレにこれ程にないまでの尊さを感じ、ド嬢の懐き具合にこれ以上無いほどの安心を覚えるのは、フィクションではなく現実への驚きを感じているからとも言える。
こうした解像度の高さ、アクチュアリティの高さは、『鬱ごはん』に見られるよう、ひとえに作者の人間の普遍性を見つける力、有り体に言えば広い意味で人間の「あるある」を観察する能力の高さによると思う。こうした人間の機微というか、なんとなく言葉にできないすれ違いや、他者と通じ合う喜びは、自分を見詰め、観察できる人にしか書けないと思う。その上で、バーナード嬢はある種文学である。それも、まさにこの作品に登場するような、名作である。

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